新しいことを始めるには、勇気が必要ですよね。すごく当たり前のことなんですけど、最近、このことを特に考えています。
「勇気」って何でしょう? どんな時に「勇気」が必要になってくるのでしょう?
先日、2ヶ月に一度京都で開催されている「秘教講義」に参加してきました。今月の焦点は“奈落”という言葉でした。講師の高橋巖先生の、短く、しかし深い問いかけに対して、参加者の皆さんが絞り出すようにして話された言葉の一つひとつが、心に沁みました。
奈落−−−−それは自分の心の中にある「闇」。「感情の嵐」、「コントロールできない自分」だと言ってもいいかもしれません。
完璧な人なんて誰一人いませんよね? どんな人であっても、自分の心の中を完全に制御することは不可能です。誰だってエゴがあるし、自分が可愛いし、人から認められたいし、いつも平和でいたい。
でも、日常生活では自分の思い通りにすべてが進むわけではありません。
ですから、ついさっきまで穏やかだった海が突然荒れ出すように、何かの拍子で急に感情が大きく乱れてしまうことがしょっちゅう起こってしまうわけです。
それが「奈落」だと思うのです。
私たちの心の中に、この「奈落」はいつでも存在していますよね?
それは何か特別なことではなく、日常生活の中で常にここかしこに体験することだと思うんです。
例えば、午前中畑に行こうと楽しみにしていたのに、急な予定が入っていけなくなったとか、銀行の窓口で手続きをしているときに細かい書類がたくさんあって、ものすごく時間がかかってしまっているとか。そんな時、ついイライラして、腹が立って、その怒りをどこかにぶつけたくなってしまいませんか?
私はしょっちゅうそれがあります。
そして、そんな時にこそ、奈落への入り口がぽっかり開くのだと思います。
そしてその奈落というものは、究極的に言えば、心の中にある「不安」からやってくるものだと思うんです。
自分でコントロールできない何かって、不安ですよね?
そして、不安な時には誰だって、我を忘れて普段はしないような言動をとってしまいます。
でも、逆に言えば、そんなふうにまさに奈落に落ちそうになってしまう瞬間に、“私自身”が現れるのだと思います。
普段は隠している醜い自分、人には見せたくない素の自分の姿が露わになってしまうのです。
でも……“本当の私”って、誰なんでしょう?
突然現れる醜い自分は、“本当の私”なんでしょうか?
もしそうでないとすれば、“本当の私”はどんな存在なのでしょうか?
そんな瞬間に、もしも、動揺している自分にスポットライトを当てることができて、客観的に自分の様子を見つめることができたとしたら、状況は違ってくるのではないでしょうか? そして、ポジティブにとらえるならば、そのような瞬間こそが、普段は無意識の底に沈んでいる“本当の私”を見出し、その声に従いながら行動できる自分に変わることのできる絶好の機会なのかもしれません。
そして、その時にこそ、真の「勇気」が試される時なのだと思うのです。
私たち一人ひとりが、「勇気」をしっかり持つことができれば、世の中はきっと変わっていくでしょう。ウクライナも、ガザも、そして国内の閉塞した政治の状況も、私たち一人ひとりが勇気を持つことで、きっと変わっていけるのではないでしょうか?
……とは言え、こんなことを書きながら、日常生活の中ではついイラッとしてしまったり、ちょっとした出来事に腹を立ててしまったりして、あとで反省する自分がいるわけですけど……。
さて、立春を過ぎ、春の足音が聞こえてきました。新しいことが始まる季節は、もうすぐそこまで来ています。
私たちのNARA Steiner Schoolも、いよいよ4月に開校します。
すでに入学を決意してくださった親御さんたちは、不安を乗り越え、勇気を持ってここに来てくださったことでしょう。農園を中心としたシュタイナー教育という、まだ形が完全には定まっていない場所に大切な我が子を通わせようと決意されるまでは、きっと長い道のりだっただろうと思います。
そのことを思うとき、心の中がとても尊い気持ちで満たされます。そしてそれが、私たちに勇気を与えてくれるのです。
手つかずのまっさらな砂浜を歩いて行く時のあの新鮮な気持ちを忘れずに、しっかりと勇気を持って準備をしていこうと思っています。
待ち望んでいた春は、もうすぐです。
2024年2月10日
栄 大和